神社由緒

■由緒沿革
 社伝によれば、第37代斉明天皇5年(659)朝廷の命令を受けた阿倍比羅夫将軍が蝦夷(東北地方)を治めるため肉入籠に至り、戦勝祈願と北秋田地方の鎮護として九州豊前國(大分県)宇佐神宮より八幡大神を勧請し、地主神と併せ祀ったのが創建とされ、鎮座地の綴子の地名は日本書紀に記される肉入籠が訛って綴子になったと伝えられます。古くから宇佐八幡宮・八幡宮と呼ばれ、境内のご神木「千年桂」はご神体として永く祀られ、特に子授け・安産・子育て・縁結びの深いご加護がございます。
 弘長2年(1,262)以前、当社社家の初代である常覚院元瑞道亨が、甲斐源氏浅利侯と共に近江國(滋賀県)より派遣され、この地方の鎮護である綴子八幡宮を再興し旧綴子村開村。国重文指定の胡桃館遺跡の信仰対象の神、田代山神社・七座神社の遥拝所としての機能も古くから持ち、時の武将・鎮将の八幡信仰は誠に篤く、近世には氏子崇敬者の篤い誠心により社殿・境内・諸施設とも整い、その畏き神恩無窮の大御光のまにまに、時代を問わず綴子郷中の氏子を始め、旧北秋田地方の総社として日本人の心の拠り所、心の故郷として篤く深く崇め奉られております。平成21年には鎮座1,350年式年大祭奉祝事業が厳粛盛大に斎行されました。

■御祭神
■主祭神 八幡山大神
 第15代「応神天皇」。東日本では稀な八幡総本宮「宇佐神宮」からの直接の分霊社であります。東北最古の八幡宮と称され、「秋田杉」や「あきたこまち」を始めとする山林農耕業が主流の土地柄、農作物の基本となる自然の恵みをもたらす山の神の要素も強く併せ持ちます。古来より八幡宮、宇佐八幡宮と称され、源氏の氏神として特別な崇敬を受けた綴子八幡信仰は特に必勝のご加護がございます。又、山林農耕業や諸産業の神としての信仰も篤く、時代を問わず時の権力者による五穀豊穣・武運長久・商売繁盛・家運隆昌の各種ご祈祷が奉納されております。往古より社地を八幡山、境内を内館と称する為に祭神名「八幡山大神」、私塾を「内館塾・内館文庫」と称します。

綴子神社では主祭神の他、配神として16柱の神々をお祀りしております。

■天照皇大神
■伊弉諾神
■伊諾冊神
■須佐之男神
■少彦名神
■火産霊神
■大山祇神
■水波能売神
■豊受比売神
■厳島姫神
■鴨若雷神
■日本武尊
■神功皇后
■崇徳天皇
■三吉霊神
■猿田彦神



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