境内案内 |
■神社社殿
本殿内の神殿は元和元年(1648)旧綴子村肝煎である親方・高橋八郎兵衛及び総郷中が願主となり所謂「おむろ」として建立され、ご神体はその奥深くに鎮まる。5尺4方と小型だが千鳥と唐破風が付いた流造でこけら葺き、菊花紋・葵紋入りの総漆塗り。虹梁等の彫刻部分は極彩色の美麗なもので現建造物中では最古となる。文化9年(1812)本郷庚申講中より神殿「おむろ」の修理塗り替えがなされた。
■内館文庫跡
内館文庫は八幡宮綴子神社別当の社家武内家が営んだ私塾である内館塾に関わる土地・建物・蔵書及び塾用器物などを含む史跡の総称である。
■千年桂
境内ご神木「千年桂」は創建当時のものと伝えられ、社殿の無かった当時は神宿るご神体として祀られており、元々は千年桂を丸く囲むようにして数社の祠(鬼神社・琴平神社・戸隠神社)・雷神社・唐松山神社・相善神社・文玉神社)が建てられていた。現在は樹下に大桂神社を祀り、縁結び・子宝・安産の神とされる。旧鷹巣町指定天然記念物。又、境内の古オンコ(一位)は初代植樹と伝えられ、樹齢600年余りで桂と共に県内で珍しいものであるが焼失し根のみ残る。
■般若院佛母孔雀明王経訂正本出版記念碑
般若院玉峯英泉の訂正本「佛母大孔雀明王経」とは平安時代初期山伏修験道の開祖「役ノ小角」が最も神聖尊重した根本経典で、当時世に流布されていたものの訓古を正したものである。寛政5年(1793)15代神宮寺龍峯代に秋田から県北一帯の浄財により京都から出版され秋田初の刊行物とされる。版木本で上・中・下3巻9,000部、秋田文化の原点とされ、記念碑として当時建立のまま今に残る。
■末社文玉神社
本社綴子神社の境内に古くからあるお社で、八幡大神(応仁天皇)の母君の神功皇后(唐松様)と稲荷神を併せ祀る。この稲荷神は旧綴子村肝煎高橋家の守護神を移したものとされ、現社殿は平成に新築した田中八幡神社の古いご本殿である。
■庚申塚
庚申とは1年に6回巡って来る干支「庚申」のこと。羽州街道の要所として栄えた綴子では他国からの往来も盛んで、庚申様の猿田彦神は道の神であることから道祖神信仰とつながり、交通の安全を願ったという。
■石碑
旧綴子村開村に力を尽くした奈良田喜左衛門と、地域神社の為に貢献著しかった高橋宇吉郎(高宇家)両氏の記念碑が参道に立つ。
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